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Uターン転職者座談会「地元で働く、ということ」

2017/03/22

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パムで働く社員には、生まれ故郷に戻って転職を行ういわゆる「Uターン転職者」が多くいます。
今回は、沖縄県出身でUターンをした3人が登場。県外で働いていた時のことや、今の生活について語りました。

写真左から
平安名(へいあんな) 2016年入社 企画営業 (ちゅらとく)
前川(まえかわ) 2012年入社 Webマーケティング (たびらい)
田場(たば) 2014年入社 広告プランナー (たびらい)

ー沖縄県外に出た経緯や、地元に帰ることを考えたタイミングやきっかけについて教えてください。
(平安名)若い時しか県外にチャレンジできないという気持ちがあり、進学を機に県外に出ました。いつかは沖縄に帰るつもりだったので、沖縄に支店のある会社を探し、6年ほど東京にいました。30歳を目前にして、結婚や子育てをリアルに考えたとき、実際に子育てをするとしたら東京では誰が助けてくれるんだろう?と思ったのがUターンのきっかけでした。

(田場)僕も生まれ育った沖縄ではずーっと同じ世界が続くような気がして、大きい世界を見てみたいというのがあり、どこかのタイミングで県外に出ようと思っていました。就職で県外に出て福岡に6年いましたが、長男(の長男)なので、いつかは沖縄に帰るという気持ちがあり、30歳が近づいたのがきっかけになりました。

(前川)私は東京に10年ほどいましたが、30歳手前で結婚して子育てが視野に入ったとき、これから先の30年をいかに働くか、子供をどうやって育てようか考えたんです。子供を”うちなーんちゅ(沖縄の人)”として育てたいと思い、そのタイミングで戻ろうと動き始めました。ちなみに私も長男の長男です。

ー2人とも「長男の長男」でしたか。行事や親戚づきあいの大変さに、沖縄の女性が避けて歩くとも言われますね。
いざ沖縄にUターンすると決めてからの不安や、仕事探しのときに感じたことがあれば教えてください。

(三人)不安だったのは給料ですね。ただ、パムは県内水準では悪い方ではないというのは言えます。評価が上がれば給料も上がるという人事の言葉を信じています(笑)

(田場)正直、沖縄に帰るとそれだけで世間から置いて行かれるんじゃないか、浦島太郎になってしまうんじゃないかという不安はありました。社長がリクルート出身と聞いて、パムは県外とも対等に取り引きができるような会社、沖縄沖縄していない会社なのかなと思ったのと、県外にも支店があるので、また県外で働きたいと思ったときにもチャンスがあるんじゃないかと考えました。県内のことだけにとどまらず全国に広がりがある事業内容も魅力に感じましたね。

(前川)私は仕事はなんでもいいから帰りたいというのではなく、Webメディアに携われる仕事を探し、受けてダメだったら東京にいようと考えていました。パムが気になったのは、媒体としてもサービスとしても新しいことに挑戦している点です。当時の会社HPから沖縄っぽくない印象を受けたんですが、それが逆に安心材料でした。というのも、沖縄は県外に比べるとどこかなぁなぁだったり、甘かったり、いい加減で済んでしまう側面も少なからずあると思います。現在、仕事に向かうマインドが、東京で働いているのと同じままで働けるのはいい点だなと感じます。

(平安名)私は沖縄に帰るなら観光業界で働きたかったのと、県全体の役に立つような、地域活性化につながることがしたくて仕事を探しました。まず営業という入口から入り、そこから広げていこうと思って未経験で営業職にチャレンジしました。沖縄で働く場合、県内の人だけの会社は閉塞感があるかもしれないという心配もありましたが、パムは県外からの人も多いと聞いて安心しました。

週末は沖縄めぐり。愛犬ラッキーと北中城の萩堂を散歩(平安名)

ーUターンにあたり背中を押したことはありましたか?
(平安名)帰ろうと思いつつも、実際は沖縄と東京の両方で仕事を探しました。いざ手元に2つを並べて考えたとき、この機会を逃すともう帰ることができないんじゃないかと思ったのが決め手になりました。親から帰っておいでとも言われていたし、自分は仕事だけの人生では満足できないなと思ったのも大きいです。仕事も家庭も欲しい、そのためには周囲の協力が得られる沖縄にしようと。

(田場)帰っておいでと言われたことはありませんでしたが、「沖縄に帰るつもりだ」と話した時、親が喜んでくれた姿に背中を押されました。福岡でも県出身者とつるんでいましたが、30才を前に周囲でもUターンする仲間がちらほらいて。仲間が帰るとなると自分もという雰囲気もありました。

(前川)子供が生まれるということが後押しになりました。この機会を逃したら、沖縄に帰るのは子育てが終わった後になるとも思いました。新潟県出身の妻は、東京での生活を気に入っていたので、沖縄の魅力的な部分だけを話して半ば強引に連れ帰ってきました。このため、伝えてきた内容と現実のギャップに半年間は愚痴を言われ続け、いまでも夫婦げんかの折には「あなたが連れてきたんでしょ」と決め台詞を言われ頭が上がりません。自業自得ですが(苦笑)

休みは娘と一緒に公園巡り!本部公園にて(前川)

ー帰ってからの生活や仕事について教えてください。
(平安名)現在、沖縄県内のホテルレストランの企画営業を担当しています。県民向けのプランや企画を考え、サービスを形にしていく日々です。「ちゅらとく」は県民レジャーの活性化を目標に掲げており、県内事業者の方も県民需要の盛り上げに期待してくれています。地元のメディアで、地元の活性化につながる仕事ができるというのは、やりがいがありますね。私自身もホテル宿泊やホテルレストラン、観光地を巡るなど沖縄を楽しむようになりました。東京では友人とホテルレストランを利用する機会も多かったのですが、沖縄ではまだまだこれからの文化だと感じるので、ホテルレストランの楽しみ方を発信して、県民利用を広げていきたいです。

(前川)私は全国のレンタカーを比較予約できるサービスの運営に携わっています。特に立ち上げから関わった訪日観光客を対象にした外国語(中国語繁体字英語韓国語)版は、サービスの成長が我が事として嬉しいですね。このサービスで、日本を訪れる海外の人が、簡単に安心して、そしてお得な価格でレンタカーを利用できるようになりました。世の中に新しい価値を提供するサービスだと思います。
私は沖縄にUターンした後、すぐに子育てが始まり、生活ががらりと変わりました。以前のように夜遅く帰る日々を続けるのは厳しいし、週末の時間の使い方も子供が中心になっています。

(田場)僕は広告プランナーとして自社メディアに掲載するタイアップ記事の営業をしています。これまでは出来上がった商品を売っていたので、売ることだけを考えればよかったんですが、いまはどういう商品にするか、商品そのものを考え、営業し、記事公開までの運用を見て、公開後も数字を見ながら効果を出していくといった全部に関わっています。契約の前後も自分自身が携わるので、今まで使っていなかった脳みそが刺激されています。仕組みが整っていないのは大変ですが、そのぶん自分が成長していると感じます。僕は、担当しているサービスをどんどん成長させて、会社の存在感を大きくしていきたいです。周囲も、自分たちでサービスをつくっていこうという意識を持った人が多いし、苦楽を共にするみんなで協力して頑張ろうという空気がありますね。

子供が生まれパパになりました。子育ても頑張るぞ(田場)

ー沖縄へのUターンを考えている人に向けて一言お願いします。
(田場)戻ってきたことで、僕はまず心が落ち着きました(笑)今はITが発達して、場所に関係なく仕事ができる時代です。都市でしか第一線の仕事ができないわけではない。オリンピックに向け、観光業界自体が動いているいま、観光最前線の沖縄は面白い場所だと思います。
公務員や大企業など一般的に目指される成功モデルがありますが、それ以外の場所で、会社やサービスを大きくしていくというのも面白いんじゃないでしょうか。みんなが同じところを目指すのは、沖縄経済的にももったいないし、新しいことに取り組んでいる会社で、サービスや会社を成長させていこうとチャレンジする人が増えれば、県全体の経済が底上げされる可能性もあるはずです。

(平安名)東京での生活は充実していましたが、特別何かがあったときでなくても、茫漠とした不安にかられ涙が止まらないことがありました。ふとしたときに泣けてくるんですよね。たぶん、さびしさや、追い込まれた気持ちになっていたんだと・・いまは、そういう気持ちに襲われることはないので、家族や友達がまわりにいるのは心強いです。素の自分でいられますしね。
県外で働いた経験は、仕事の仕方だったりバランス感覚だったり、沖縄に帰ってきたときの強みになると思います。

(前川)東京の生活は刺激的で充実しており、仕事もやりがいがありましたが、一方でこの生活をずっと続けていけるのだろうかという不安を感じていました。今思うと、うちなーんちゅとして腰を落ち着けることができない不安定さを感じていたのかもしれません。その焦燥感は沖縄に帰って消えましたね。
仕事もプライベートも犠牲にしたくないという強い想いで沖縄に戻ってきたものの、「沖縄という場所で働く意義や意味はいったい、なんなのだろう」とずっと考えていました。もちろん沖縄の自然や余暇時間の充実は確かに魅力ですが、それは仕事に直結するものではない。自分なりの一つの答えは、日々の生活の中で感じる、海外、特に台湾や香港といったアジア圏の方との心理的な近さです。これは長い時間を掛けて醸成された、日本の中で唯一沖縄だけが持つ感覚だと思います。そういった素地をビジネスに生かし、成長・発展できる可能性を秘めているのは、沖縄の大きな魅力であり、沖縄という場所で働く意義なのではないかと考えています。
また、今沖縄は雰囲気が大きく変わりつつあり、とても面白いタイミングです。沖縄へUターンを考える方には、それぞれに切実な悩みや希望、夢があることでしょう。考えて悩んで最後の最後は、もう「えいやっ」と来るしかないです。そして、自分なりの「沖縄で働く意義」を日々の仕事と生活の中で見つけてほしい。きっと楽しいと思います。

30という年齢が、地元に戻ることを現実的に考えるタイミングだったというのが3人の共通項でした。都市圏での生活を経験してから、地方に行く・地元に戻るという際には共通する感情かもしれませんね。

「そうそう」「わかるー」「一緒だー!」と同意が飛び交う座談会でした

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